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日々の小さな気づきから面白い事をジャンルに拘らず楽しく共有するブログ

東京の空は電線で阿弥陀籤

東京の空を楽しむ

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今日は「東京の空の楽しみ方を」一つお披露目したいです。

東京の空は狭い

と念仏のように良く耳にしたので

私の耳にはタコが出来てます。

(日本全国津々浦々都市は存在しているので“東京”の空の~の“東京”の部分に頭に浮かぶ都市名を入れて読み進めて頂けたらとも思います。)

広々とした空とは言い難くさせているのは立ち並ぶ建造物達

それらが視界の中パッチワークの切れ端みたいにあてがわれています。

 

夜空を見上げれば

街頭や横断歩道が

地上近く煌めいていて

何万光年も彼方から届く星の光を仄かにぼやけさせています。

先日何気なく一枚の写メをLINE送信すると、思わぬ返答が返って来ました。 

そのやり取りで思い出した事 

「綺麗な夕日だけどさぁー?東京のその電線どうにかならんかねっ?」

一庶民の凡夫の私のスケールの大きなクレームです。

都議会議員にでもなれればかな…何年かかるだろうか…(。-`ω-)ンー…

そもそも選出する手続きて権利あるのかしら…

なりたくないしな…確か電線の電力漏れと美観などの為に地下に送電線を埋めるとか聞いた気もするし…

もうそろそろ、どうにかなるんじゃないの?」

と一応愚にもつかない長考の末

「そう言った事は我が都民の代表都知事に直談判しろっ!!!」 

と結論に至った時にはとっくにトークは終了していました。

 

電線に対する意識

電線に雀が3羽止ってた♪は、かの有名な『電線音頭by電線マン』

そのトーク以前の五月晴れの日に電線へ対する心情が一新する日を迎えていました。

散歩をしていた時に電線達へ対する心情が変わっていました。

常日頃から私は気が向けばiphoneを取り出してパシャパシャ撮影しています。

バッグから出すのにモタモタするので動きのある動物のシャッターチャンスは捉えられません。

その日も近所を歩きつつ気になればパシャリと写メを撮りながら歩いていました。

 どの景色の背景に黒い電線が入り組むのを眺めていました。

その時迄は住宅地の狭苦しさを無言に感じ

「忌々しいな」

と立ち止まり見上げていました。

が、マジマジと観察しているとコレは返って面白い絵面になるかな?

と好奇心へ変わり出しました。

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興味を惹かれてパシャリがパチパチと次第にシャッター音を早め、見れば見る程変幻自在で面白いなと上を見上げて撮り進みました。


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何処の家にも電気で繋がっていますよね。

阿弥陀籤みたいだなと思いつつ。

  

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紫陽花の花の向こう空にもです。

 

阿弥陀阿弥陀籤どれにしようか阿弥陀籤なんて鼻歌を歌いながら歩いていると短い夕方は足早に過ぎていました。

 

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月は電線の五線譜オクターブ上のドから顔を出していました。

 

日常を味わう

味わおうと思わないと味わえないのは日常の何気ない風景です。

電力会社さんの管理の行き届いてるのも、日本の電力の整備も、便利な国なのも、凄いなと新鮮な心持ちになりました。

その線は大事な人まで続いてるかも知れないですよね。

 

阿弥陀籤の豆知識〉
  • 起源

阿弥陀籤が使われるようになったのは室町時代からです。

お気付きの事と思いますが由来は阿弥陀如来の名からです。

平等に品物を分けたり、仕事を割り振ったりするのに使われた籤です。

元々は放射線状に線が引かれていて横棒などは入ってはいませんでした。

光背とは威徳を表す物として仏像の後光として具現化されている物です。

お寺や美術館など仏像をお参りや拝観された事のある方であれば記憶に残っている事と思います。

  • ネーミング

その放射線の籤が、阿弥陀如来の仏像の光背に似ている事から

「あれ?これ阿弥陀如来様の後光と一緒じゃね?」

と言ったか言わずやですが、

阿弥陀籤とネーミングされました。

因みに現在の縦線に横棒の形になり盛んに行われるようになったのは江戸時代からとのことです。

 

 

写真は全部自分で撮ったものです。

 

 

to be continued.